仙台高等裁判所秋田支部 昭和31年(う)13号 判決
控訴趣意は要するに被告人が本件酒田市議会議員選挙に立候補の決意をしたのは昭和三十年四月十日頃であるから同年二月二十八日頃の行為を立候補届出前の選挙運動と認定したのは事実誤認であるというに帰するので按ずるに所論摘示の証拠は孰れも原審の採証しない証拠ではあるが夫れらの証拠並に当審で取調べた証拠によれば被告人が右市議会議員選挙に立候補の確定決意を始めて酒田農政クラブの委員長和島熊太郎等に表明したのは昭和三十年四月十日頃であることを窺知しうるのであるが原判決挙示の証拠によれば被告人は曩に酒田市議会議員選挙に二回立候補して落選しており選挙運動は表面的には立候補の届出と同時に行われるがこれだけでは充分な選挙運動が出来ないのでそれ以前から手づるなり地盤なりを作つておかなければならない。届出前の選挙運動は違反になるから他の会合と併せて或は何にかの会合に名をかりて巧妙にやるのが選挙運動の常道であると思つていた。そこで昭和三十年四月三十日施行の酒田市議会議員選挙に立候補することを決定づけたのは告示数日前であるが市会議員に立候補する意思に最初の立候補当時から引きつづきあつたものであり昭和三十年早々から居部落の西平田地区から自分外一名が立候補するとの噂があるのを耳にしていたのであつた被告人は同年二月下旬頃の衆議院議員選挙の投票日の正午過頃和島作治と道路上で会つた際被告人は「此の度もお世話にならなければならないし、私の為に暇だれもすることになるだろうから」といつて二千円を同人のポケットに突込み「立候補した時は出来るだけの努力をお願いしなければならないのだから」といつてお願いしたので和島ももじもじして最初は受取らなかつたのであるが同人は被告人が市会議員に立候補した場合自分の部落の人から被告人に投票して貰いたいための運動資金として呉れたものであることは充分判つていた筈であると思推していたこと、なお被告人は右二千円は和島の部落の人の集り等を利用して自分に投票方を依頼して貰いその際茶菓子なり何なりを買つてやつて貰いたい気持であつたところその翌日か翌々日和島から「今晩部落の人を集めておくから来て呉れないか」と話されその夕方娘大沼あやめから十本続きの手拭一本を譲り受けて和島方に到り同家茶の間にいた和島と同部落の者五、六人と会いその後集つてきた人もあり被告人は和島の妻が御馳走を作つているのを見て前記手拭を「皆さん手拭きにでも間に合うなら使つて下さい」といつて出したもので和島から被告人のことにつき何とか話して呉れるだろうと思つたし黙つて手拭を出しても無駄にはならないと思つていた。そのうち酒と馳走が出たので被告人は集つた部落の人の一部に対し酒を酌してやつた。被告人は席上選挙の話はしなかつたが和島がうまく取次いで呉れると思つたし顔を出しただけでこの趣旨は判つて呉れたと思つていたこと、和島作治は被告人より金を渡された翌日二級清酒二升、豚肉二百匁、葱、こんにやく、砂糖等を被告人から受取つた金で買いその夕方部落の隣組新田茂外九戸に使を出し被告人から一杯御馳走貰つているから飲みにきてくれと言づけた結果隣組の新田茂、原田菊蔵、斎藤ヨシヱ、小松熊治、佐藤円治、斎藤茂雄、佐藤辰江、小寺栄作等八名が集り同人等に前記の酒や肉を出してこれは被告人から貰つたのだから飲んでくれといつた。飲み始めて十分か二十分した頃被告人もその場に来て皆に宜敷く願いますといつて一緒に酒を飲んでいた。その時御馳走になつていた人の内で誰かが心配するなといつていた。被告人は以前から市会議員の選挙に出るという噂は当時専らであつて和島等の隣組の人達は既に知つていたので被告人が市議会議員に立候補した場合は同人に投票して貰いたいためのお礼の意味での馳走であることは判つていた筈であること、和島作治は当時被告人より売買、貸借、金銭の立替又は受取るべき報酬等は何にもなかつたこと等を確認しうるのであるから前叙のとおり、被告人の立候補の確定決意の表明が右酒食の饗応、手拭の供与後であつたとしてもその行為当時具体的に確定している酒田市議会議員選挙に立候補を内心予定しその際自己に当選を得る目的で選挙人に饗応、供与するにおいては公職選挙法所定の罪即ち同法第二百三十九条第一号のいわゆる事前運動の罪や第二百二十一条第一項第一号饗応接待、物品供与の罪が成立することは一点の疑を容れる余地がない。なお記録及び原審並びに当審で取調べた証拠を検討するも原判決には事実誤認を窺うべき事由は毫も存しない。結局所論は独自の見解に基く証拠に立脚し原判決の認定を非難するものであつて採るをえない。論旨は理由がない。
(裁判長裁判官 松村美佐男 裁判官 大島雷三 裁判官 兼築義春)